雑念

思いついたことを焦点なく垂れ流します。ランニングの練習日誌が多め

海の上のピアニストを見た

 

海の上のピアニスト 通常版 (字幕版)

海の上のピアニスト 通常版 (字幕版)

  • 発売日: 2020/11/18
  • メディア: Prime Video
 

 

先日、海の上のピアニスト、という映画を見た。小さい頃に一度見た覚えがあったし大まかな筋は覚えていたが、正直に言ってけっこう印象の薄い映画だ、という記憶だった。
 
さて、それから約20年ほどが経ち、もう一度同じ映画を見たわけだが、愛すべきシーンをいくつか見つけられるようになった。それを成長というのか老化というのか知らないが、個人的には好意的に受け止められる変化だと思っている。いずれにしても、わたしが素敵だと思ったシーンをいくつか書き留めておきたいと思う。ついでに言うと、理由もないのに素敵だと思ったシーンを書き留めておきたくなるような映画なのだ、この映画は。
 
まずひとつめ、親代わりの船乗りの死に目に一生懸命に競馬新聞を読んであげているシーン。まず、幼少期の1900の懸命さがかわいい。次に、なぜか馬の名前を聞いたら面白くて笑い出してしまうという独特なツボをもつ優しい船乗りが、死にそうなのに笑っているのがたまらなく良い。本当に楽しそうだし、1900を不安にさせないために努めて明るくしているのかなとも思う。その後の彼の孤独を想うとこのひとときの幸福が、わたし(鑑賞者)からはとてもきらきらした瞬間に思える。
 
つぎ、ふたつめ、海の声を聞いたおっちゃんの話を食い入るように見つめる1900の表情。不思議そうでもあり、真剣でもあり、恐れでもあり、希望でもあり、みたいななんとも形容し難い複合的な表情に見えた。あれは役者さんはどうやってあんな顔をしてるんだろうと思うくらいに。このシーンがこの物語の続きを暗示しているわけだから見事な演技だと思う。
 
みっつめ、魚屋になったおっちゃんの娘に一目惚れするシーン。ニューシネマもそうだけど、トルナトーレさんはなんでこう初恋の表現の上手い人なんだろうか。素敵過ぎないだろうか。たしかに初恋ってこんな感じだった気がするもん、忘れたけど。あともうモリコーネさん万歳です、このシーンは。泣いちゃったよ。帰ってこないんだよなあ、初恋のあの感じ、忘れたけど。
 
最後、タラップから降りようとしてニューヨークの街並みをじっと見るシーン。鑑賞者からは何を考えているのかわからない、想像するしかない、ただそれだけのシーン。1900の視点で映し出されるニューヨークの街並みを陸の人であるわたしが見たときに感じたことと、1900自身が感じたことのずれ。それが何かはわからないまま映画は進行し、1900は塞ぎ込んでしまい、わたしはいったい彼に何が起きたんだろうと彼の友人のように心配する。この時間が良い。彼と近づけたような気持ちになる。ラストシーンでこの瞬間に彼が何を考えていたのか明かされるわけだけども、わがままだけど、わからない方が素敵だったなあ。
 
それにしてもラストシーン。わたしにはまだ1900の言っていることがよくわからない。1900の話を聞いたって、「んなこと言ったって選ばなきゃしょうがないじゃんか。死んじゃうよあんた、街で生きないと。」って言っちゃいそうな気がする。だからある意味、本当にわたしがわかってないのはコーン吹きのことだ。彼は「ほんとうに」1900の友達だったんだろう。語るべき物語を聞いてくれる人に対して語れる唯一の人間だったわけだから。彼に感情移入できないとこの物語の価値がわからないだろうと思う。わたしにはまだそれができない。老いるのが楽しみである。